2005年6月28日

めいpageるEntry183

みなさんは、最近泣いたことってあるでしょうか。
今日不覚にも泣ける2ちゃんねるで涙が出てきてしまいました。
書籍版は書店で少し立ち読みしたことがあったんですけどね。
2ちゃんねるにこんな姿があったのか、と少し驚きました。
ふと、俺の泣ける出来事を思い出してしまいました。

面白くないと思うけど俺の思い出話です。

1.卒業式(2005.3)
小学生として最後に迎える卒業式。
今日、俺は絶対に泣かない、そして笑わないと決めていた。
泣かないはなんとなく理由もわかると思う。
なぜ笑わないなのか。
俺は大事なときに笑ってしまう性格だった。(今も?
練習の時も、ステージの階段を上がると笑ってしまう。
そんな俺に腹がたつ。

結局、卒業式では泣かないし笑わなかった。
でも、最後の担任になった先生が最後の話をするとき、涙が出てきた。
「先生、泣かないって決めてたんだ。でも、涙出ちゃった。」
これが俺が覚えているあの先生の卒業式の日の最後の言葉だった。
最後に、小学校にも 教室にも 「さようなら」そして終った。
本当に最後まで気丈で良い先生だったと思ってる。子供が良いとか悪いとか言えないけど。でも、きっとこの先生は人生で最高の先生になるはずだ。
卒業前の一年間 俺を支えてくれた先生として。

中学校に入ってから、一度だけ顔を見る機会があった。
離退任式。中学校と小学校は同時にある、それを友から聞いたとき、俺の胸の鼓動は高まった。

放課後、俺は走った。小学校時代やっていた野球の体もなまりきった体で、走った。
汗だくで小学校に着いたとき。先生はまだ学校にいた。
懐かしい風景が俺の目に飛び込んできた。
その時、なんともいえない思い出が込み上がってきた。
思い出に、ともらったノートの切れ端のサイン。
一生の 宝物になると思う。
先生、顔を見ることはほとんどなくなっても、見守っててくださいね。

2.祖父の他界(2004.9)
祖父が病気だと知ったのは2004年の春ごろのことだった。
当時俺は小学校6年生。野球もやっていた。
野球がたまたま雨で休みになった日、俺は某市の病院まで見舞いに行った。
祖父は元気だった。でも、以前のような暖かいまなざしはなかったと思う。なぜなら、病気でやせ細っていたのだから。

それから一時祖父は回復した。

新学期が始まってまだ一週間とたたない時、祖父は旅立った。
母は病院に泊りきり。父の作った朝飯を食って学校へ行った。
帰ってきたときだったかな。それを始めて知ったのは。
信じられなかった。

葬儀の日。それまで気丈に振る舞っていた祖母。
焼却場へ向かう車に乗るとき、最後に見た死に顔。
臓器の病気で太った祖父は、今にもおはようと語りかけてくるようだった。
その時、俺も、祖母も、母も、目に光る物があった。

未だに俺は信じられないで居る。でも、位牌を見るたびに、
もう少し生きてもよかったよね。じいちゃんの分も長生きするからね。
俺はそう思わずには居られない。

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コメント(1)


……やっぱ俺心冷めてるねえ

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